
従来日本映画界においては、作品、監督、主演、助演等の表彰に比べて、プロデューサーの表彰はほとんどなく、作品制作にあたっての貢献者としてクローズアップされることはあまりなかった。
このような状況のなかで、協同組合 日本映画製作者協会が実施している「新藤兼人賞」にあわせて、日本映画界の活性化に役立つ新しい人材の発掘、育成に貢献するために、これまであまり注目されなかった映画プロデューサーを対象に、優れた作品を制作した人材にSARVHプロデューサー賞を贈呈する。
新藤 次郎 氏
「一枚のハガキ」は終戦間際に徴集された兵士100名のうち94名が戦死し、残った6名のうち、ある男性に焦点を絞り、彼自身と戦死した友人の家族の崩壊と再生への道のりをつづった作品。
日本の独立映画製作会社の先駆として近代映画協会の残して来られた業績は、日本映画の黄金期から低迷期を経て、現在に至る独立映画製作者の道しるべとなり、その活動は新藤兼人氏から新藤次郎氏に引き継がれ数多くの作品を発表しておられ、今年は特に「一枚のハガキ」で素晴らしい結実を示された努力が高く評価された。
| 受賞者 | 新藤 次郎(プロデューサー) 企画・プロデュース作品 映画「一枚のハガキ」 |
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| 授賞式 | 平成23年12月2日、丸の内・東京會館 |
| SARVH賞 | トロフィー・副賞100万円 |
| 受賞者 | 桂 壮三郎(プロデューサー) 企画・プロデュース作品 映画「アンダンテ~稲の旋律~」 若松孝二(プロデューサー) 企画・プロデュース作品 映画「キャタピラー」 |
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| 授賞式 | 平成22年12月3日、丸の内・東京會館 |
| SARVH賞 | トロフィー・副賞100万円(各50万円) |
桂 壮三郎 氏と若松孝二 氏
| 受賞者 | 安田 匡裕(プロデューサー) 企画・プロデュース作品 映画「ディア・ドクター」 代理受賞 西川 美和(監督) |
|---|---|
| 授賞式 | 平成21年12月4日、丸の内・東京會館 |
| SARVH賞 | トロフィー・副賞100万円 |
故 安田匡裕 氏と代理受賞した西川美和 監督


| 受賞者 | 中沢 敏明(プロデューサー)、本木 雅弘(俳優) 企画・プロデュース作品 映画「おくりびと」 |
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| 授賞理由 |
本年のSARVH賞に中沢敏明氏と本木雅弘氏が日本映画製作者協会理事会において選出された。 中沢敏明氏は本映画のプロデューサーだが本木雅弘氏は俳優としてのクレジットのみである。 |
| 授賞式 | 平成20年12月5日、丸の内・東京會館 |
| SARVH賞 | トロフィー・副賞100万円 |
壇上にて受賞後、写真撮影に応じる 中沢敏明氏と本木雅弘氏

| 受賞者 | 桝井 省志 (プロデューサー) プロデュース作品 映画「それでもボクはやってない」 |
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| 授賞理由 |
独立のプロデューサーが生きていくのに難しい時代、そんな中で「それでもボクはやってない」は渋い素材をあくまでも正攻法で作り上げ、大量宣伝の娯楽映画と作品中心の短館映画のすき間に食い込んで興行的にも成功した。 |
| 授賞式 | 平成19年12月7日、丸の内・東京會館 |
| SARVH賞 | トロフィー・副賞100万円 |
壇上にて受賞後、喜びのコメントを述べる 桝井省志氏


| 受賞者 | 渡辺 謙 (俳優・プロデューサー) プロデュース作品 映画「明日の記憶」 |
|---|---|
| 授賞理由 | 受賞者は、海外にもその活躍の場を広げる俳優であるが、原作に魅せられ、映画化権の取得、配給の交渉、キャスティング、監督の選定のほか、自ら主演し、さらには興行的な成功にも貢献し、実を伴ったプロデュースを成し遂げた。 今日の日本映画界において興行的に難しい企画でありながら、それを克服し、ヒットさせたことはたいへん意義深く、選考委員の圧倒的な支持を集めた。 |
| 授賞式 | 平成18年12月8日、丸の内・東京會館 |
| SARVH賞 | トロフィー・副賞100万円 |
壇上にて受賞後、喜びのコメントを述べる 渡辺謙氏


| 受賞者 | 李 鳳宇 (プロデューサー) プロデュース作品 映画「パッチギ」 |
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| 授賞理由 | 受賞者は、上記作品の企画から製作、配給、興業までのプロデューサーとして最も評価されるべき一貫業務を見事に果たし、さらに作品の完成度も高く、興行的にも成功したことで、選考委員会でも圧倒的な支持を集めた。 |
| 授賞式 | 平成17年12月9日、丸の内・東京會館 |
| SARVH賞 | トロフィー・副賞100万円 |
壇上にて受賞後、喜びのコメントを述べる 李鳳宇氏

